『Mameta in wonder land』 「よお、太智。お前のカノジョ、生徒会でオモチャにされてるぜ」 ある五月晴れの午後、部活に向かおうとしていた太智は、廊下でクラスメイトから突然そう声をかけられた。彼は太智の陽気なバカ仲間の一人で、お調子者が高じてクラス委員をしている。 「は? カノジョなんて(残念ながら)いないっての」 太智は内心の呟きを隠しながら答えた。 「ちげーよ。ホラ、生徒会の。お前等いつもニコイチだろーが」 太智は暫く心当たりを逡巡し、くわっと友人を見据えた。 「冬生は俺のカノジョじゃねーっつうのッ!」 からかわれていたことに気づいた太智は、散々そのクラスメイトをプロレス技の練習に使ったあげく、「スマナカッタ、許してくれ……ってかギブギブ!」と悲鳴をあげられてから、ようやく話を聞く気になった。 ボロ雑巾のようになったクラスメイトは、ゴホンと咳払いをしてから、太智に畏まった。 「ほらさ、可愛い親友がオモチャにされてるなんて知ったら、お前のことだからきっと怒り狂って生徒会長に殴りこみに行ってしまうかもしれないと、大事な友人を心配してだな、俺は冗談ちっくに教えてやったんだという……」 「言い訳はいい! 詳しく話を聞こうじゃないか」 「だからさ……」 彼の話はダラダラと長くて言い訳めいていたので省略すると、どうやら太智の幼馴染が、生徒会に入ってからというもの、役員に苛められているらしいというのだ。 いい男が高校生にもなってイジメに立ち向かわないでどうすると、普通の友達なら思ったところだが、その幼馴染となると話は別だった。 幼馴染の名は『白柳冬生』といって、正真正銘、男である。よって、カノジョなどでは断じてあり得ないわけだが。 家がお隣さん同士で、生まれた年も同じであるため、家族ぐるみで仲が良く、これまで兄弟のように育ってきた間柄ではある。 太智が、生まれたときから大柄で、ギャンギャン泣き喚いて元気な産声を上げていた野生健康優良児であったのと対照的に、彼は生まれたときから小柄で静かで白雪のような美赤子(そんな単語があるのかどうかはわからないが)だった。 そしてそのまま、すくすくと可愛らしく育ち、さらに頭も見た目通りの秀才に育ったため、女性からはちやほやされ、男子生徒からは妬まれる対象となり続けた。よくありがちな話である。 彼が苛められると、幼馴染の自分は大抵その場に居合わせていて、彼を守る立場になったものだ。自分の目が届かないところで苛められていると聞けば、彼の元へすっ飛んでいくという、まるで保護者のような役割が日常茶飯事になっていった。 しかし高校生にもなると、冬生は聡明さを買われて生徒会に入るなどしており、周りも彼のことを認めていると思っていた。 ちっさいことに拘るような輩など絶滅したのだと、太智は安心していたのだが。 「冬生を苛める奴は俺が許さん!」 太智は一目散に、生徒会室へと駆けて行った。 「おー、がーんばーれよー」 その様子を面白そうに眺めながら、バカ仲間の友人はひらひらと手を振り見送る。 クラスメイトたちから夫婦漫才コンビと呼ばれているのを知らないのは、太智だけである。 息を切らしながら、太智は目的の教室の前までやってきた。 目の前には、『生徒会室』と仰々しく書かれた木札がある。にっくき悪の権化は、ここにいるのだ。 「わ、や、やめて下さいっ」 ふいに中から、聞き覚えのある、か細い声がした。 太智の頭にカッと血が上る。もはや条件反射である。 「冬生ッ! 今助けるぞ!」 勢い良く引き戸を開き、太智は絶句した。 「あ、た、太智?」 突然現れた親友の姿に慌てる冬生は、なんと部屋のソファーで女生徒に押し倒されながら、顔を紅く染めているではないか。 「ひょ、ひょっとして……オレ、お邪魔……」 「ちがーうッッ!」 すかさず、冬生のツッコミが入った。 「なに、この面白クンは」 上の女生徒が、下の冬生に、さらりと尋ねた。 一体どうしてこの状況でそんなに冷静なのか、太智にはサッパリ判らない。 「えっと、あの……同級生の、青豆君です……」 相変わらず彼女の下に組み敷かれたまま、戸惑い気味に冬生は答えた。 いい加減、その体勢をどうにかする気はないのか、彼女は。 「はあ? アオマメ? それ、あだ名?」 その台詞には、太智もウンザリした。生まれてこの方、名前を名乗ってリアクションを受けないことはない。いい加減慣れたが、いい気はしないので友達には下の名前で呼ぶように徹底しているくらいだ。 「いえ、あの……」 「正真正銘、本名ッス」 口ごもる冬生に代わって、太智が答えた。不機嫌丸出しで。 「ふうん、本名なの。変わった名前を持つと大変ね。ね、ヤギ子?」 「あの、その呼び方は……ちょっと……」 「なによ、いい響きだと思うわよ。アンタにピッタリじゃないの」 「でも……ヤギはともかく、子って……」 「そこが可愛いんじゃないの」 「ええと……」 「ってちょっと待ったッストーッッッッップ!」 太智は思い切り、話をぶった切った。 いつまで痴話話を立ち聞きしなければならんのだ。しかもそんな体勢の。 「あら、ごめんなさい。アナタのことを忘れてたわ」 女生徒は、長い髪の向こうから、アッサリと謝罪を入れた。御簾のように遮られ、どんな顔をしてるのかは見えないが、とても心から謝ってるようには思えない。 太智は内心歯軋りをしながら、必死に冷静さを取り繕った。 「忘れないでください。ってか、俺は冬生が苛められてるって聞いて来たんだ。どいつですか、ここに引っ張り出して下さい」 「? 話の意図が判らないわ。誰もヤギ子を苛めてなんかいないわよ。ゆえに、ここには引っ張り出せないわね」 あくまで冬生の上から降りようとはせずに、女生徒はそう答えた。 太智の血管が1つ切れた。 腕力なら自信がある。こうなったら力にモノを言わせることもやむを得ない。 「じゃあ、生徒会長を呼んでください。っていうか、いい加減冬生から退いたらどうですか! アナタじゃ話にならない!」 彼女はヤレヤレと首を傾げて冬生から退き、太智の前に向き直った。 顔にかかったロングヘアーを、さっと払う。 その瞬間、太智の切れた血管は見事に元に戻った。 黒髪は綺麗なストレートで、眉の下で切りそろえられた前髪は神秘的な雰囲気を彼女に与えており、その下にある聡明さを映しているような切れ長の涼しげな目元と瞳は、好奇心を露にしてキラキラと輝いているようだった。 ──って、なにを詩人のような表現をしているのやら。 太智は初対面の女生徒に一瞬見惚れていたことを悟られないように、密かに気持ちを切り替えた。 「生徒会長は私よ。アナタも一度は生徒集会で私の顔を見てるでしょう」 目の前の少女は、さらりと答える。その声音には、呆れるような響きがあった。 しかし太智は、生徒集会など、一度だってマトモに起きていたことはない。 「…………………………………………………………………エッ!」 十数秒の瞬きの後、太智は声を上げた。 「気づくの遅いよッ!」 すかさず、冬生のツッコミが飛んだ。さすが長年の相方である。 「で、一体何をしてたんスか」 その後、一息つけようと生徒会長自らに招き入れられ、空いているソファーを促され、いつの間にやらすっかり太智は馴染んでいた。 紅茶をご相伴に預かりつつ、向かいに座る生徒会長と冬生に尋ねる。 「ああ、アレ? この子が素直に言うこと聞かないから」 生徒会長はそう言って、冬生を見やる。 「素直に……ってなんだよ?」 太智は、ふーふーと紅茶を冷ましながら冬生に尋ねた。 その途端、冬生は血相を変え、彼女の口を両手で塞ぐ。 「ッ、あにすんぬよ、あぎほっ」 意味不明な叫びを上げる生徒会長を無視する冬生の必死ぶりは、尋常ではなかった。しかも口はおろか、鼻まで押さえつけている。 「ふ、フユキ、そんくらいにしとけ。死んじまうぞ」 面食らってオロオロとなだめると、彼は我に返ったようにパッと手を離した。今度は顔面蒼白になって、うろたえる。 「す、すみません先輩!」 冬生から解放された生徒会長は、思い切り酸素を吸い込んでから、「殺す気っ!?」と文句を言った。 「すみませんすみませんすみません! でも、あの事だけは!」 「しょーがないわねえ……じゃあ、言うこと、聞いてもらえる?」 彼女は意地悪そうな笑みを浮かべて、冬生に流し目を送った。 なんとも艶っぽい……もとい、意地が悪そうな顔だ。 これでは、どんなに拒否をしても最後は「うん」と言わねばならないだろう。 一体、冬生は何を脅されているんだ!? 「ちょっと、聞き捨てならないッスよ!」 「いいんだよ、太智! これは僕の問題だから」 しかし、援護したはずの冬生に断られてしまった。 肩透かしを食らう形で太智の怒りは行き場を失い、すごすごと引き下がるしかない。 冬生は眉根を寄せたまま、彼女に向かってキッパリと答えた。 「判りました……絶対口外しないって約束なら」 「じゃ、決まりね♪ 良かったわ、今日はマコトがいないから、力技じゃ不安だったのよね。まがりなりにも、ヤギ子も一応オトコなんだし」 ルンルンと歌いだしそうな素振りで、彼女はにっこりと笑った。 「せめてヤギ子はやめて下さい……」 対照的に、冬生は慣れたような諦めの顔で溜め息をついた。 太智の頭は、怒りと疑問と疎外感でグルグル回る。 なんだってんだ、この女は。なんでこんなに馴れ馴れしいんだ。 冬生も冬生だ、嫌なら嫌だとはっきりと言えばいいじゃないか! それともひょっとして、嫌よ嫌よと言いながら、本当は嬉しかったりするんじゃぁないのか! 「じゃあ、俺は帰りますからッ」 ぐびぐび紅茶を飲み干して、太智は勢い良く席を立つ。 「あ、ちょっと! アンタ、下の名前は?」 立ち去り際、生徒会長から呼び止められ、 「太智ッ! 青豆太智ッス!」 吐き捨てるように言って引き戸を閉めた。 ガシャンと大きな音が辺りに響き渡り、少しだけ気持ちがすっとする。 『カラリ』 ところが、閉めたはずの戸がアッサリと開き、再び彼女が顔を出した。 「なッ、なんスかッ」 今の態度を責めるためにわざわざ出てきたのかと身構えると、彼女は例の艶やかな笑みを浮かべて、太智を指差した。 「アンタ、またここに来るわよ、絶対」 「…………」 「じゃ、またね、マメ太」 『カラリ』 そして再び、戸は閉まる。もう開く様子は無かった。 「…………………………………………………………………………………は?」 数十秒の後、太智が口にした言葉はマヌケな一言だった。 残念ながら、突っ込んでくれる相方はいない。 最後の台詞は一体どういうつもりなんだとか、一体冬生と何を約束したんだとか、マメ太って誰だよ、とか。 帰り道になって沸々と言いたいことが湧き上がってきて、 ───ああもう、なんなんだ、あの女は! 太智は茜空に吼えた。 青春である。 「大体、そもそもあそこに太智が居合わせなかったら、あんなことにはならなかったんだよ」 後日、冬生がそうぼやいたことは言うまでも無い。 数日後、太智は再び生徒会室の前に立った。 もう一度、ことの真相を確かめようと思い立ったのだ。 まるで予言の通りのようで、いい気はしないが、気になるものは気になる。 ───今度こそ、言ってやるんだ。 意気込みだけはあるが、しかし何を言ってやろうとしているのか、太智自身も判ってはいなかった。 「あっ、ちょっと、まってくださいッ、うわわッ」 すると、戸の向こうから再び冬生の悲鳴が聞こえるではないか。 デジャビュを感じた太智は、再びカッと頭に血を上らせて、「冬生ッ、どうしたッ!」と駆け込んだ。 そして凍りついた。 「あら、やっぱり来たのね」 涼しげな笑みを浮かべた生徒会長は、赤の地に黒いハートの模様のゴージャスなドレスを着ていた。 「何して……るんすか……?」 「えっと、イヤ、だからこれは……」 そして、顔を真っ赤にして言葉を探している冬生は、なんと少女趣味なエプロンドレスを着ていた。頭にはブロンドのカールヘアのカツラまでつけており、さらに良く見ればうっすら口紅なんかついているのでは……。 「まさか、女装大会……」 「ちがーうッッ! ていうか女装大会って何だよ!」 今度は相方のツッコミが入った。若干ほっとする。 「そもそも、おリョウさんは女性だしね」 しかも今回は、新たな人物たちがそこにいた。 眼鏡をかけた秀才風の男が一名と、オカッパ頭の元気が良さそうな女生徒一名の、計二名。 追加のツッコミを入れたのは眼鏡の男のほうだ。スーツを着ているが、ここの教師か生徒なのだろうか。 太智はそれをスルーして、改めて落ち着こうと部屋を見回した。 眼鏡の男は普通のスーツ姿なのだが、女生徒のほうは奇妙な格好をしていた。 何しろ、長くて白い耳(ウサギの耳に見える)をカチューシャにつけ、金ボタンのベストにジャケットを着ている。蝶ネクタイをしてはいるが、バニーガールとは程遠い。どちらかというと、オッサン臭い。 「レンさんはいいよね、普通の格好でさー」 その女生徒が、眼鏡の男に向かって、ふくれ面をした。 「仕方ないよ、僕は帽子屋だからね。少なくとも、アレを着なくて済んだ分、感謝しなくちゃ、マコト」 レンさんと呼ばれた男は、にっこりと笑って諌める。 マコトと呼ばれた女生徒は「むう」と更にふくれた。 「サイズが合ってたら、あたしが着ることになってたんだよ?」 「だから、サイズが合わなくて良かったじゃないか」 「うー」 こちらも夫婦漫才のようなやり取りだ。 「一体、何が……」 未だに状況が掴めず、うわ言のように呟く太智の前に、ドレスを着た生徒会長が立った。ハマリすぎていて圧倒されてしまう。 「コレ見ても、まだわかんないの? 見事なアリスでしょう?」 そう言って、ずいと女装した冬生を前に突き出した。 「……アリス?」 「ううう……」 突き出された冬生は、真っ赤になって口ごもる。代わりに生徒会長が答えた。 「そう。不思議の国のアリス」 「不思議の国の……」 聞いたことはある。だが、うろ覚えだった。 なんとなく、青いワンピースと白いひらひらのエプロンドレスの少女がアリスだったことは覚えている。 では、冬生のこの格好は、アリスだということなのか。 お人形さんのようになっている冬生は、違和感無く可愛らしい。 違和感が無いことが違和感なくらいだ。自分の頭がおかしいのか、冬生が反則的に可愛いのか。むしろ自分の頭に違和感を覚えるべきだろうか。 「で、私はハートの女王ね」 その愛らしいアリスのフリルの肩を掴んでいるドレスの女王は、まさに女王の輝きと気品と迫力を兼ね揃えていた。ハートの女王がどういったキャラクターなのかは知らなかったが、連想するイメージはさほど違わないに違いない……あぁ、自分でも何を言っているのか判らなくなってきた。 「二人とも、彼がふー子の彼氏の、マメ太君よ」 さらに、女王は自分を指差し、他の二人に意味不明な単語交じりの説明を始めた。理不尽である。 太智が目を白黒させていると、見事なアリスが躊躇いがちに、呟く。 「だから、秘密にしてたのに……」 「今年の文化祭のメインイベントの1つなのよ。毎年うちの学校では、生徒会と文化祭実行委員会が協力して、一種の宝探しイベントを開催するの」 「生徒会役員と文化祭執行委員が、それぞれ1つのテーマを元に仮装して、ナビゲーターとして校内の各所に散り、宝をゲットするためのパスワードやクイズを持っているんだ。全員に接触してそれらを全部集めると、豪華商品がもらえる抽選大会に参加できるって仕組みだよ」 「で、今年のテーマが、『不思議の国のアリス』なわけ」 生徒会長、眼鏡の男、ウサギ耳の女生徒が順に説明を始めた。 太智の足りない頭は、フル回転である。 「……つまり、仮装大会っすね」 「違うでしょ! イベントの一環!」 すかさずアリスのツッコミが炸裂した。なんだか新鮮だ。 「去年はシンデレラだったし、その前はオズの魔法使いだったみたいなんだ。その流れで、今年も世界名作児童文学シリーズらしいよ」 その流れとやらによって、女装までさせられている冬生が、諦め口調で続けた。なるほど、伝統では文句も言えないのだろう。 「今年の商品は凄いんだよ〜。あぁ、あたしも参加したいよう!」 ウサギ耳の女生徒が、悔しそうに天を仰いだ。 「ちなみに……何が貰えるんスか」 聞いてどうするんだ、とは後から思ったが、つい口を突いて出てしまった。 「聞いて驚け! 今年はナント、折りたたみ自転車だーッ!」 ウサギ耳の女生徒は、ビシっと人差し指を太智に突きつけ、耳を揺らした。 「へぇ〜……」 回らない頭は、それなりに状況に順応してきたようだ。あまり深く考えないようになってきた。 「なに、その薄い反応! タダの折りたたみ自転車じゃないんだよ! 高級ブランドの超カッコイイ限定モデルだぞ!」 太智のリアクションが不服だったのか、ウサギ耳の女生徒は勢い良く語り始めた。勢いあまって、長い耳がびょんびょんと揺れる。 「しかも、6段切り替え! 坂道だって、ら〜くらく!なんだから!」 自転車屋の回し者なのかと疑うような熱の入りようだ。 「いや、だって折りたたみ自転車でしょ……ら〜くらく、とはいかないんじゃ……」 「あぁ、欲しいなあ〜……レンさん、あたしもこっそり参加しちゃダメ?」 もはや聞いちゃいない。大きな瞳をうっとりさせて、長い耳をびょんびょん揺らしている。 「ダメだよ、マコトは実行委員だからね」 レンさんと呼ばれた眼鏡の男性……ってもう面倒なので、レンさんと呼ばせてもらうことにしよう。ウサギ耳はマコトだな、と太智は認識した。 「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕らは文化祭実行委員なんだ。僕は委員長で、彼女は執行委員。ともに二年生で、君の一年先輩だよ」 タイムリーな解説が、レンさんから伝えられる。 二人とも先輩……ということは、レン先輩とマコト先輩か。 「僕は荒月廉太郎という。彼女は星野舞琴。君は、青豆太智君だね。おリョウさんから話は聞いてるよ。ふーくんとクラスメイトだってね」 「あ、はい、よろしくお願いします」 鮮やかな自己紹介に思わず頭を下げてしまった。何を改まっているのやら。 「あたしは三月ウサギ役なんだ。よろしくね、マメ太。あたしのことはマコト先輩でいいよー」 ウサギ耳のマコト先輩が、ポケットから金の懐中時計を取り出して、太智の目の前で揺らした。ついでに、ウサ耳もびょんびょん揺れる。 彼女があまりにフレンドリーに挨拶をしてきたので、「あ、どもっす」などと恐縮してしまい、『マメ太』って誰なんだと聞きそびれてしまった。 なんだか某国民的アニメのダメな小学生主人公のような響きで、微妙に引っかかる。 「僕は普通に、荒月先輩でいいからね」 『レン先輩』から『荒月先輩』に呼び方を変えなくては。 何故だか牽制されたような気がするが、気のせいだろうか。 「この間、太智がここに来たときには、この衣装の試着を頼まれてて……それで、あんなことに……」 冬生が真っ赤になりながら、ため息をついた。アリスになっているだけに、なんと可愛いため息だろうか。ここに事情を知らない男子生徒がいたら、間違いなく恋に落ちることだろう。自分は免疫があって良かったと、太智はおかしな優越感を持った。 「だって、絶対着ないとか言い出すんだもの。クジで決まったんだから文句は言いっこ無しでしょ。だから、強制的に着せることにしたのよ」 「だって風間先輩、あのクジ、インチキじゃないですか」 「何言ってるのよ、あれは公正な多数決による、アミダクジの順番決めだったじゃないの。たまたま、ふー子の番号がアリスにたどり着いただけよ」 ふー子というのは、冬生のことらしい。どうやら、この前の冬生の願いは聞き届けられ、新たなニックネームを与えられたようだが、子はだけは譲れないらしい。 その『ふー子』は、チークの利いたピンク色の頬を膨らませて、果敢にも女王に立ち向かった。……おっと、チークまで入れていたのか、念が入っている。 「一本道だったじゃないですか! 直行でアリス行きだったじゃないですか! あんなのアミダじゃないですよ! 陰謀です!」 「何を言ってるのかサッパリ判らないわ〜。陰謀説はよくある都市伝説よね」 「意味が判りません!」 「いいじゃないの、似合ってるんだから。この姿を見たら、アリス役はふー子以外に考えられないわ! 完璧なハマリ役よ!」 「嬉しくありません!」 アリス、中々頑張っているじゃないか。女装したほうが強気になるのだろうか。というよりも、やけっぱちなのかもしれないが。 「一度『いい』と言った言葉を、まさか翻したりはしないわよね? ふー子用に仕立てたこのドレスを、他の誰も着れないと判っていての発言よね?」 しかしハートの女王の、必殺の笑みが炸裂した。あの艶のある凄みを利かせられて、ノーと言える日本人がいたらここにつれてきて欲しい。 「う……わ、判りました……」 今、勝利のゴングは鳴った。女王の圧勝だ。 見事なアリスは、憂いを帯びた溜め息をついた。今年、何人の男子生徒が血迷うことになるのだろう、などと太智は悠長なことを考えていた。 この後、自分に降りかかる災難など、知る由も無い。 「それにしても、ホント助かっちゃった。ありがと、マメ太!」 突然、身に覚えの無いことでマコト先輩に感謝された太智は、瞬きを繰り返す。 マメ太って誰なんだとツッコむことも頭から消えた。このままでは、マメ太で定着してしまう。 「え、何が……」 「これに合うサイズの人間が中々いなくてね。ちょっと大きいものだから。いや、本当にありがとう。ハイ、これ」 続いて、荒月先輩から感謝の言葉が述べられ、大きな紙袋を手渡される。ワケが判らず、思わず受け取ってしまった。 「開けてみて。きっと似合うわよ? アリスとはニコイチだもの」 極めつけの女王の笑顔。太智は、「はあ」と気の抜けた返事をして、ありがとうございますなどと間の抜けた言葉を返した。 ごそごそと手探りで紙袋から引っ張り出したものは、伸縮性に飛んだ薄手の衣服で、ピンクと白のシマシマ模様をしていた。 「……………なんすか、これ?」 「衣装だよ〜」 マコト先輩が、必死に笑いを堪えながら答える。 「え、衣装? 俺、関係ないっすよ?」 「君の事は、すでに実行委員として登録してあるから。大丈夫、サイズは合ってると思うよ」 「え、荒月先輩いつの間に! っていうか、大丈夫って何がッ? これ、一体何の衣装なんですかッ?」 「アリスといったら、絶対に必要なキャラクターよ。凄い、ハマリ役ね!」 女王様が、自分の肩を強く掴んで、見事なまでに美しく微笑んだ。 そうか、ハマリ役か……って思わず納得しそうになりかける。危険だ。 「え、着、着ませんよ、これ、明らかに全身タ……」 「マコト! そこの鉄パイプ、曲げて」 太智の台詞を遮るように、女王様が三月ウサギに命令した。 何を言い出すんだ、この女王様は。こんな普通の女子高生に、鉄パイプなど…… 「オッケー」 曲げられるのかッ? 何だ、その気安い返事は! マコト先輩は壁に立てかけてあった、親指と人差し指で丸を作れるほどの太さの鉄パイプを手に取ると、 「えいっ」 と軽く気合を入れる。 太智は目を疑った。 見事にぐにゃりと、まるで傘の持ち手のように曲がっている。 「さすがだね、マコト」 荒月先輩が、パチパチと拍手をした。曲げた本人は平然として、「いや、どーもどーも」などと恐縮している。 「ありがと、マコト。相変わらず見事ねー」 マコト先輩からパイプを受け取ると、女王様はその曲がり具合を見てご満悦の様子だ。 なんだ、この和んだ会話は。こいつら一体何なんだ。 手品か。それとも本当は鉄パイプじゃないのか。あぁそうだ、本当はアレ、見た目は鉄だけど実は練り消しゴムとかいうヤツなんだろ。 「正真正銘、鉄よ」 曲がった鉄パイプを、すっと首に押し当てられた。女王様の笑みも首の感触も、ひんやりと冷たい。 明らかに、金属の冷たさと重さ、そして固さだということが頚動脈付近から心底伝わってくる。太智の背筋に、冷たい汗が流れ落ちた。 これは脅しだ。鉄パイプ(曲がった)を杖代わりに持った女王様に、お前の首をへし折ってやるぞと言われているようなものだ。 俺は今、生命の危機に瀕している! 「コレ、イベントの最後にクリケット大会をするときのラケットなの。この曲がった部分にフラミンゴの頭のぬいぐるみをくっつけるのよ」 女王様は杖の持ち手を指差して、にこやかに解説を始めるが、太智はそれどころではない。 マコト先輩とやら、何者だ。一体どんな怪力少女だ。 ただの女子高生に、こんな芸当できっこない。自分でも無理だ。 彼女には絶対逆らえない。そして、マコトを命令1つで動かせる、この女王様にも逆らってはいけない。太智の野性のカンがそう告げている。 恐怖とハテナマークで脳みそを埋め尽くした太智に、荒月先輩からの救いの声がかかった。 「まあ、一度着てみたら判るよ。僕らは部屋を出ているから、着替えてみて」 有無を言わせない物言いに、太智はびろ〜んとした不審な布着れを片手に、問答無用で生徒会室に取り残される。 「ゴメンね、太智……」 戸を閉める瞬間、太智に耳に、冬生の呟きが聞こえたような気がした。 数分後、生徒会室の戸を開けた4人は、夕日を背負って立つ、ピンクと白の縞模様の全身タイツ男を発見する。 奇妙なドラ○もんかモジモジ君である。 「最高! 最高のチェシャ猫よ、マメ太!」 女王が涙を流して腹を捩っている。ダメだ、もうマメ太で定着している。今更ツッコめない。 笑い転げる四人をよそに、一人途方に暮れる全身タイツ猫男は、アンニュイな気分に浸りながら夕日を眺めたのだった。 了 |